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「自分だけの歴史を創る」をコンセプトにするSandastの鞄。エイジング加工によって一つ一つ異なる表情を持つ鞄は、持ち主の人生を色濃く反映し、世界に1つだけの鞄に。 プロのレーシングドライバーとして世界を駆け回り、「自分だけの歴史」を創ってきた佐藤琢磨さん。決して平坦ではなかったそこまでの道のりをくぐり抜けてこられたのは、彼が大切にしていた言葉に理由があるようだ。その言葉を、今回伺うことができた。

 
 

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自転車競技でインターハイ優勝も、

沸きあがるクルマへの思い

 

まだ運転免許のなかった自分にとって、自転車は唯一のレーシングマシンでした。小学生の頃から団地内のコーナーをいかに速く曲がるかということばかり考えていたくらいです。高校入学と同時に近所のサイクルプロショップを通じて自転車競技の世界を知り、お店のクラブに所属して社会人と一緒にロードレースに参加するようになりました。そのうち、自分が全国の高校生の中でどのくらいの力があるのかを試してみたくなったんです。

だったらインターハイを目指そう!となりました。でも、通っていた高校には自転車部がありませんでした。高校総体に出場するには学校として高校体育連盟に加盟する部が必要なので、さあどうしようかと。無いものは作るしかない(笑)

担任の先生に顧問をお願いして、部員一名の自転車部を立ち上げることから始めました。本来ウチの高校は「サークル活動を一年間続けた後、部への昇格を認める」というルールがあったのですが、担任が学校側に取り合ってくれて、すぐに部として認めてもらえることになりました。高校3年生の4月だったからです。8月下旬に行われるインターハイ予選にあたる東京都大会に5月に、ギリギリ間に合いました。

7月の関東大会は完敗でしたが、インターハイでは悲願の目標を達成できました。レース中盤からのアタックで積極的な展開に持ち込めたのは事実ですが、無名の選手でノーマークだったから勝てたと自分自身は思っています。だから今度は大学で思いっきりやってみようと、学生時代は自転車の魅力にどっぷり浸かっていきました。けれども、何か満たされてないものを感じていたんです。

やっぱり、自分はクルマが好きだ。自動車レースがやりたい!幼い頃から父親の運転するクルマの助手席が特等席で、10歳の時に目の当たりにしたF1マシンの衝撃が忘れられませんでした。父親に連れていってもらった鈴鹿サーキットで見た、史上最速のマシンが競うあの瞬間を今も鮮明に覚えています。だから、在学中の競技者生活としては100%自転車に注いではいましたが、心の深いところではモータースポーツへの情熱をずっと持ち続けていたんです。

 
 

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自ら切り開いた夢への第一歩

 

そんなくすぶった思いに火をつけて爆発させたのが、19歳の冬に雑誌に載っていた、鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)の記事でした。このスクールで最優秀成績を収めると、スカラシップにより上位カテゴリーへのステップアップが約束され、プロドライバーへの道が開けるんです。

アイルトン・セナやミハエル・シューマッハをはじめ、多くの一流レーシングドライバーは物心がついた頃からレーシングカートに乗っています。SRS-Fへ応募した年も、幼少期からレーシングカートに乗り、全日本最高峰クラスの現役チャンピオンや世界選手権出場といった経歴を持つ面々がいました。一方そんな経歴の全くない自分にとっては、このスカラシップこそがF1ドライバーになれる唯一の方法だと確信したんです。ところが入校説明会では、合格率10倍の狭き門なのに、実技オーディションは実施されなく、履歴書を出して終わり。思わず最後の質疑応答で「え、ここからどうやって選ぶんですか?」と尋ねると、履歴書で書類選考すると告げられたんです。

これでは100%落ちる。自分は年齢制限の20歳に達している上に、レーシングカートの経験もわずかでしたから… 周りはみんな10代でした。それで「話を聞いて頂きたいんですけど、面接してもらえませんか」とお願いしたんです。そしたら協議の結果OKが出て、その場で希望者は面接してもらうことになり、結果的には全員の面接が急遽行われました。

さらに募集要項にあった履歴書だけでは不安だったので、勝手に思いの丈を作文にしてあらかじめ送りつけていたんですが、その手紙を読んでくれていた人が自分の面接を担当したんです。そんな幸運にも恵まれてSRS-F入校への合格が決まりました。

そして予定通り(?!)スカラシップを獲得して、全日本F3やイギリスF3へとステップアップしていくことができ、2002年にはF1のシートを手に入れました。夢が叶った瞬間でしたね。そして2010年からは北米インディカーシリーズに挑戦しています。

インディカーの最高速はF1より速い380km/hにも達します。サーキット、市街地、そしてオーバルというバラエティに富んだコースを常に限界域で操ってレースすることは最高に魅力的です。それもインディは勝者が最後の最後まで分からない、非常に接近したレースなんです。勝利することは本当に大変なことですが、何ものにも代えがたい達成感があります。チーム一丸となっての挑戦は最高の喜びに繋がりますね。だからどんなに悔しさや辛さを味わうレースがあっても、それ以上にもっと上を目指したいという気持ちが湧いてくる。だから走り続けているんです。

 
 

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いつやって来るかわからない運を、自分から取りにいくしかない

 

ボクが大切にしている言葉があります。「ノー・アタック、ノー・チャンス(もし英語表記が可能でしたら NO ATTACK NO CHANCEでお願いします)。幼い頃からレーシングカートに乗っている人がほとんどだという話をしました。しかし例えば3歳からピアノを弾き始めた人でなくても、20歳からプロピアニストを目指すことは不可能でしょうか? そんなルールはないですよね。

英才教育は素晴らしいと思います。でも誰にでも手に入る環境ではない。だとしたら大切なのは気持ちで、年齢は関係ない。それの方が夢があるし楽しいじゃないですか。何歳から目指しても頂点に立てると思うんです。自分はそれを信じているから、走ります。

人は平等に運を持っていると思いますが、その運が正しいタイミングで必要なときにやって来るとは限りません。そんな確率は宝クジの一等に当選するようなものですよね。だったら自分から取りに行くしかない。常に挑戦し続けて、ダメでも次、そしてまたその次、というふうに。引いてダメなら押してみる…とか。それでもダメなら蹴り破る!ぐらいの覚悟で。そういう行動を続けていると、運をたぐり寄せられる。それを見ている人がいて助けてくれることもあります。自らアクションを起こし続けなければ、先には進めないと思います。

 
 

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父から子へ受け継ぐ “いいもの”に憧れる

 

普段のファッションはデニムにシャツなど、シンプルなほうが好きです。その分素材感やクオリティ、ディテールにはこだわります。例えばその素材だからこそ表現できる美しさや色があるものに目がいきがちです。

時計は機能美を重視して選んでいます。速いレーシングカーってシンプルで美しく見えるんですが、時計も同じだと思います。優れた機能だからこそ生み出せる美しさを備えた時計が好きで、レースの成績が良かったときは自分へのご褒美でひとつ一つ揃えている感じです(笑)。

11歳の息子と8歳の娘がいるのですが、息子はもう時計が欲しいと言っています。もちろん今はまだあげませんけどね。でも愛用した時計を息子に譲るっていうのは、憧れますね。

今日は鞄を見せてもらえるというのでとても楽しみにしていました。仕事ではチームロゴの入ったバッグになりますが、プライベートではこだわりの鞄で旅行に行きたいですからね。

いいものを持つとそれを一生大切にしようと思うし、それに合う良い物を揃えたくなります。そうすると、ひとつひとつのものをずっと大切にするようになる。そういう楽しさも、ゆくゆくは息子と共有してみたいですね。

 
 

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インタビューを終えて

 

インタビュー中に「楽しみにしていた」というように、Sandastの鞄を手にしたときは、まるでプレゼントをもらった子どものように目を輝かせていた様子が印象的だった佐藤さん。「色味がいいですね。デザインもすごくいい。胴部を包む帯部分があるから耐久性が高そうだし、革も頑丈そう…って、ついエンジニアのような目線になってしまいましたが(笑)。これこそ何十年も使えそうですね」。初代ミニという、昔のクルマを今でも持っているそうだが「ミニに乗る時なんてピッタリ!」と利用シーンまで想像してもらえた。

 

 
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